「探偵小説の書き方と、『密室の中に置かれた小説』について」~Absolute dramatizing ways とOriginal absolute dramatizing ways ~

私は趣味で作家をしていますが、今回は、私の好きな探偵小説をメインにして、「小説の書き方」みたいなものをご紹介したいと思います。

―探偵小説の書き方―

絶対素描砲での作品創作~描写・展開に無理や飛躍を入れない書き方~

探偵小説、推理小説の書き方(描き方)とは、先ず結末から追っていくもの、と言わます。その構想・筋立ての途中から脚色をしていき、その筋立て・脚色に必要と思われるツール(環境・登場人物・小道具など)を用意するというもの。
問題(重要な点)は、殺人事件であれば、その犯行が成されるまでの合理的な経過に沿って描かれなければならなく、その展開において「無理」がないことが望ましいです。無暗に飛躍した表現があってはならないということですね。
どのような緻密な経過・展開でもよいので、必ず冒頭部と結末の部分とが、無理なく結合されていなければ1つの小説として成立しません。

また、登場人物に探偵を置いて、事件・犯行に関する問題・疑問解決に至るまでの経過では、これも先述した「経過・展開」における重点と同様で、必ず合理的に解決に至らなければなりません。
けっこう現代小説に多い「2次元的な飛躍描写」としてこのような「無理のある展開」が認められるものですが、探偵小説だからこそ(推理小説だからこそ)、読者が読んでいて推理できる内容を書かなければならない、ということです。

ここのところに重点を置く必要があるのです。(ですが、読者を想定しない場合の「探偵小説」の描き方もありますので、それについても独断と私的考察を多分に踏まえて後述します)。

たいていの小説の場合はそうですが、神秘的な方法・無理のある方法(特定の人物にしか解らない方法)を用いてはいけません。
その方法は、ごく日常にありふれた事情や工夫を扱った方法であればあるほどよいのです。

そしてこの方法は、実際に多くの探偵小説、推理小説において使われています。この方法の具体的な流れを少し下記しておきます。

  1. ストーリーの土台―登場人物である犯人の動機・犯行が成立するまでの経過
  2. 経過中に起こるさまざまな出来ごと―その経過中の場面ごとに引き起こされる複数の出来ごと
  3. 複数の出来ごとを契機に、犯人が衝動的な行動をとる―【2】の出来ごとのそれぞれをきっかけにして、犯人が衝動的な行動に出る(つまり、外的刺激を受けたことによる衝動となる)
  4. 衝動的な行動が、犯人を犯行に至らせる―

だいたいこんな感じです。単純に、よくある探偵小説で描かれる犯行までの展開ですが、この1つ1つの点で、「無理や飛躍があってはならない」ということです。

犯人が犯行に至るまでの描写がリアルであるからこそ、読者はそのストーリーが実際に起きても不思議じゃないと思い込み、臨場感(いわゆるリアリティ)を楽しむわけです。

つまり、「犯行までの描写だけでも無理なく展開していれば、その探偵小説はとてもリアリティに富んだ作品」と認められるのです。

「誰でもそんな場面に遭遇すればそうするだろう、そんな光景を見てしまえばこういう気持ちになるだろう、だからそんな場面・光景はその人にこういう行為(犯行)をさせたのだろう」

こんな必然的な描写と展開が、読者の心に無理なく飛び込み、読者の共感を呼びやすくさせるのです。この「必然的な描写と展開」が、いえばどんな小説にも必要になってきます。
こんな「必然的にまとめられる作品の描き方」を、「絶対素描法」(Absolute dramatizing ways)といいます。この描写法をもって書けば、たいていどんな探偵小説・推理小説も描けてしまうのです。
読者にはその作品を書いた著者も含まれます。なので探偵小説や推理小説を書く場合、この「絶対素描法」によって「無理のない展開になっていないかどうか」を確認してみるとよいでしょう。それで何の違和感もなければ、恐らくその作品はどんなに時間が経っても、傑作の部類に入ると思います。

登場人物にも、脚色が多すぎないように注意!

ここでは初級の描写法について述べますので、少し初歩的な記述になりますが、ご了承下さい。
登場人物(キャラクター)にも、飛躍した脚色をつけたり、非現実的な存在にしてしまったりしてはいけません。(いやその方が望ましいということです)。

主人公を宇宙からきた特殊能力を持った少年にしたり、尻尾が生えているなどの「人間離れした脚色」をしたりしないということ。

理由は、その特殊能力や異形的な身体的特徴をもってしか、事件解決・犯行がなせないという場合が、可能性として出てしまうからです。

それでは「1」で言った内容と反対の、「無理がある、飛躍した描写・展開」に辿り着いてしまいます。「リアリティのあるストーリーを崩壊させてしまうような、危険因子は初めから取り除いておこう」というわけです。
また霊のたぐいも引き出すべきではありません。見える人には見えるのかも知れませんが、この「霊」というのは一般的には認められていません。いえばこの霊のたぐいも、宇宙人や超自然現象と同様に見なされます。
登場人物というのは、現実(日常生活)において、人が直接手を触れて認識出来る存在でなければなりません。
たとえば、獣・ロボット(技術加工により人が直接的に認識出来る存在)などは許容されます。

そういった「現実・日常において、手で触れることができるリアルなキャラクター」を用いた上で、ストーリー展開に無理・飛躍がなければよいわけです。

またそうした上で、ストーリー内容がさらに斬新であればもっとベターです。
初めて小説を書く・探偵小説を書く・推理小説を書く、という人には、まずキャラクターの斬新性よりも、ストーリー上での斬新性を求めることをおすすめします。
そしてこの「斬新性」について少し明記したいと思います。
「斬新」というのはなにも、これまでに見られなかった「新しさ」ばかりを指すものでなく、日常において人の盲点に隠れている、「人が気づかなかった事象や内容」でもよいのです。
たとえば、

  • 水一滴が落ちる描写を、視点を切り替えることによってホラーの描写に仕上げてみる
  • 車の排気ガスやクラクションを、同じく多角的な描写によって、キャラクターのヒステリックを引き起こすまでの要素にしてみる
  • 「太陽の光と月の光の明度の違い」によって、場面に独特の効果や印象をもたらせてみる

などの、日常で見られる事象や内容をもって「こんな感動・結末が得られるのか!」と人に言わせるような、興味深い展開からなされる斬新性もあるわけです。
つまり、「灯台下暗しを彷彿させる題材・表現を連続して採り、それらをアドリブにしてストーリーを結末まで展開出来れば、その小説は相応に評価されるでしょう」ということです。

もし「探偵小説を書きたい」という人があなたなら、ここまでお伝えしてきた内容をご参考に、一度小説を書いてみて下さい。きっと、自分でも納得・満足できる作品が生まれると思いますよ。

―「密室の中に置かれた小説」について―

先述までは、とりあえず「読者ありきの探偵小説・推理小説の書き方」についてご紹介しました。これに加えて、「読者を想定しない探偵小説・推理小説」の書き方があります。この書き方・描写法は、先述で肯定した合理的な描写法から逸脱します。

つまり著者の独断と偏見により、幻想的に描かれた作品となるわけで、著者さえ満足できれば「その作品は作品・傑作として成立する」と言わしめるものになります。
このような「非合理的な小説」を創作する事は、一べつ至難のことのように思われがちですが、実は先述した「読者想定をした作品(合理的な作品)」よりも簡単です。

上記のように「自分さえ満足できればよいという姿勢と主義」を持った著者が書くわけですから、ただその著者は思うままに作品を書けばよい、ということになります。その作品への批評も非難もありません。書き終えた時点で、その作品は出来あがっているわけです。

これを私は「密室の中に置かれた小説」と呼びます。
そしてこの「密室」のドアは、本来その著者が開くものではなく、この密室に興味を持った他人(読者)が開くもので、いえばその作品は「その作品に興味を持った読者」によってのみ読まれることになります。

気取って言いましたが、普通に書店で本を買って、その本の扉を開くのと同じです。「密室」という言葉が出ましたので、ちょっと大げさに言ってみました。つまり、この「読者想定をしない作品―密室の中に置かれた小説―」も、他の書店で売られている本と同様、読者が来てその扉を開いてくれるのを待っていればよいわけです。

だからこの非合理的に創作されたように見える「読者想定をしない作品」でも、一般に売られている本と、何ら変らない作品となります。

そしてこの描写法には、先述で否定してきた「無理がある飛躍した描写・展開」や「霊のたぐい」や、そうしたツールを用いての「非合理的な経過による物語解決」などが採用されます。

実は私は、この「密室の中に置かれた小説」の方を、「作家が書くべき本来の作品である」と推挙したいのです。

このような「極めて自分勝手に書く小説」こそが、「説明好きな作品」が横行している現代に、すごく求められるものじゃないかと思うのです。

「読者ありきを想定した作品」を手がける場合には、どうしても「他の作品よりも魅力的に見せよう」や「ここでお涙頂戴してみよう」というような、著者、あるいは編集者による打算が入ったりしてしまうものであり、その打算は「読者の興味を引く為の打算」としてあるわけですから、作品が商品として書(描)かれる可能性が増してくるわけです。
「著者本人の書き方がたまたま読者想定をする書き方だった」、「小説界の発展への純粋な展望から読者想定をしてみる」などといった、その両方への配慮を踏まえて「打算」を付すのであれば、その方針は価値があるものかも知れないですけど、その方針を左右する著者と編集者の思惑というものは、たいていの場合が一方に傾くものです。

つまり、初めは純粋に文学界の発展を期待し、その「読者に売れる作品」を書いてみたけれども、しているうちに段々「商業的」になっていまい、「読者想定による作品の創作法」が「作品を商品として売るだけの創作法」にすり替わってしまう場合があるということです。
1つの事をなそうとするときには、必ずその「1つの事」に没頭しなければならないものです。
作品というのは、「その著者個人を表現した書物」を指すものです。また作品とはその人の個性から生れるものを指していて、決して誰かの目を気にした商品にしてはいけないものです。
この「作品」を「商品」として売ろうとした経過において、恐らくメディアの介入により不要な「打算」が生まれ、「作品=商品」というような誤った見方が半ば確立してしまい、現在では、この「作品=商品」という見方の方が一般的になってしまったのではないでしょうか。
これは作品を語る上で、誤認です。そもそも「作品が生まれるまでの過程」を見れば、「作品=商品」という「イコール」にならない結論だけが残ります。

作品のあり方は、読者の感想や編集者の方針によって決められるものではなく、「そのとき書かれた作品が、その手法で書かれなければならなかった」という、その作品独自の成立過程によって決められます。

また本来作家も「読者の感想や編集者の方針」によって成長するものではありません。作家は作品を書き続けながら、その作品世界の中でおのず成長するものです。
作家は、自分の理念・概念・理想・作品を書き続けた経験により成長し、その「成長」により生み出された作品が、その作家にしか生み出せない「生粋の作品」となるのです。
つまり作家は、「読者想定した探偵小説・推理小説の書き方」を「読者想定をしない探偵小説・推理小説」を書く場合の参照にしてもよいが、それは飽くまで参照に留めて、後者の方法を全うしなければならないという事です。この点こそ、今ここで主張したい(問題にしている)最大の点になります。
この「最大の点」について一応の解決を得るには、読者側と著者側との「小説に対する見解や認識の統制」が必要になると思われます。
現在、この「見解や認識」は、混沌とした統制において左右されているようです。当然、個別によって見解や認識は分かれるものですから、完全に統制するなんてことは無理なことでしょう。なので、ある程度の基準を設けるということです。

「読者想定しない作品創作が、作家が取るべき本来の方法である」と一般市民の理解にあれば、著者だけが満足するようなハチャメチャな作品・思い切り幻想がかった作品でも、さらにもっと世間で受容されるようになるでしょう。
作品創作に携わる人たちは、この点に大きな理解を持っていなければならないと思います。
世界の全ての人がこの点を理解し、許容すれば、「読者想定した探偵小説・推理小説の書き方」を「読者想定をしない探偵小説・推理小説」のどちらでもを柔軟に認めることができ、「読者想定しないと絶対にダメ!」というようなお堅い思考の種は、段々消えていくことと思います。この「読者想定をしない作品の描写法」を「従来の絶対素描法」(Original absolute dramatizing ways)といいます。
ぜひ、「読者想定をしない作品創作」をもって、あなた独自の世界観を充分に発揮させて下さい。
この記事を見た作家志望のあなたが、この「従来の絶対素描法」をもって、あなた独自の作品創作を存分に楽しまれることを心より期待しています。