
みなさん「シャネル」はご存知ですよね?
今や世界のトップブランドとして認知されているファッション界の大手ブランドの1つです。カバン、靴、洋服、財布などあらゆるファッションアイテムを生み出すファッションブランドですよね。
今回ご紹介するココ・シャネルは、このビックブランドである「シャネル」の創始者がココ・シャネルさんなのです。
ココ・シャネルは、フランス出身の女性です。彼女は12歳の時に実の母が病死後、お父さんによって修道院に入れられました。当時の修道院では、何かしらのお仕事をしなければならず、ココ・シャネルさんがその修道院の中で行った仕事が「裁縫」の仕事でした。ここでファッション業界へとつながる土台が出来上がったとも言われています。
ココ・シャネルが一大ブランドを作り上げるまでの足跡
18歳で修道院を出た後は?
ココ・シャネルは、修道院を出た後に歌を歌うためにキャバレーで仕事を始めます。そこで、働いていた時の愛称が「ココ」だったのです。
これが、のちの「ココ・シャネル」と呼ばれる由縁になるのです。ここでの仕事では、多くの人と出会いました。数多くの人と出会いの中で、彼女はある一人の男性に恋をしました。関係性は、愛人という立場にもかかわらず、彼女はその男性と関係を続けていくのでした。
愛人として社交界デビュー
ココ・シャネルは、男性の愛人という立場になりこれまで縁のなかった社交界にデビューを果たします。その社交界で着用する洋服などは、幼い頃に修道院で培った裁縫技術で作り上げた帽子でした。
ココ・シャネルが作り上げるおしゃれなデザインの帽子は、当時社交界に参加していた貴婦人たちの間で好評になり、やがてココ・シャネルは自分のお店を持ち始めるようになるのでした。
時代を作り上げたい熱い想いを持った女性
当時の社交界では伝統的な服を身につけるのが一般的であり、大きな羽をつけた帽子やコルセットに長いスカートを着用することが通例でした。
しかし、このデザインでは、私生活において身動きが取りづらく、さらには動きづらい服装であったためココ・シャネルはこの伝統服を変えたいという想いを持っていました。
女性はもっと動きやすい服で、気心地の良いものを着て、自立すべきだという考えを持ったココ・シャネルはその後、洋服業界に参入しました。
大成功を収める洋服業界での活躍
ジャージ素材で大活躍
これまでの女性が着る洋服は、コルセットを着用した動きづらく見た目だけを重視したものばかりでした。そこで、ココ・シャネルは動きやすく柔軟性のある洋服を作り出します。そこで着目したのは、ジャージ素材の洋服でした。
ジャージ素材でロングドレスを作り出し、貴婦人の方々に帽子同様に動きやすくて着心地が良いと評判になっていくのでした。その後も、出会う人や付き合った男性からヒントを得てココ・シャネルはどんどん世の女性が欲しくなる洋服を生み出していくのでした。その中で、シャネルといえば「香水」「化粧品」の販売にも着手していくのでした。
第二次世界大戦に巻き込まれる
洋服業界で次々と成功を収めるココ・シャネルでしたが、ここで第二次世界大戦に巻き込まれます。従業員のストライキにまこまれたりするなど事業が行き詰まり、ここで一大決心しました。それは、これまで事業の軸を担っていた洋服部門の撤退を決意するのでした。
残ったのは、香水とアクセサリーのみ。なんとか第二次世界大戦が終わるまで事業を長引かせ、ようやく戦争が終わった頃に再び活躍をしようと心に誓っていました。
クリスチャンディオールの登場
第二次世界大戦を乗り越えたココ・シャネルは洋服業界の再興に向けてあらゆる視点で模索していた時、新しく台頭してきや新規ブランドがありました。それは、クリスチャンディオールでした。当時、流行してた新しいデザインの1つAライン。
特徴としてウエストを縛ってスタイルを良く見せることを重視した洋服が流行していました。しかし、このファッションは、ココ・シャネルが嫌う女性の見た目だけを重視した機動性に欠ける機能性に憤慨し、より一層彼女を洋服業界へと舞い戻らせる大きな要因ともなりました。
ココ・シャネルのこだわり
ココ・シャネルの作り出す洋服には、動きやすさとシンプルな色使いであり、女性のボディーラインを美しく見せ、魅力を引き出すデザインをしており、なおかつ動きやすさに追求した洋服を作り出すことがココ・シャネルさんのポリシーでした。
さらに、当時のヨーロッパでは、女性の活躍が乏しい環境であったため、洋服を通して女性の社会進出や活躍を応援するメッセージも込めて作り出されていきます。
しかし、フランスを含めヨーロッパではこのような考え方が受けいられず当初はココ・シャネルの考え方は批判いさらされることも少なくありませんでした。
戦争に巻き込まれ、のちにフランスはドイツによって占拠をされるような環境においても、生きることを諦めず、スイスへの亡命を経験し、困難な状況であってもファッションに対する情熱は一度たりとも彼女の中で消えることはありませんでした。
環境を変えたアメリカの存在
ココ・シャネルの掲げるポリシーを受け入れてくれるところはないのか?と諦めかけた時、1つの国でココ・シャネルの洋服が注目を集めます。それは、アメリカでした。
自由の国アメリカでは、ココ・シャネルが掲げる新しい女性の洋服に共感した人々がシャネルの作り出す洋服やアイテムを使用するようになりました。ヨーロッパではなく当初はアメリカで着実に知名度と実績を積み重ねていくのでした。
その後、ココ・シャネルは「過去50年間で最も大きな影響力を与えたファッションデザイナー」としてオスカー賞を獲得するほど、アメリカでは彼女のことを大変高く評価していたことを物語っています。
晩年、87歳まで活躍
ココ・シャネルさんは、ファッションデザイナーとして87歳の年齢に達するまで現役で活躍を続けます。
彼女のポリシーである「どうして女性は窮屈な服に耐えなければいけないのか」という積年の疑問に対して、この考えから解放した服装を作り出すことに情熱を注いだ女性でした。
仕事に情熱を注いだ彼女は、晩年家族はおらず一人で過ごしたとも言われています。時代背景にも左右され、大変な時代を送った彼女は今の女性のファッション作り上げた創始者と言っても過言ではないかもしれません。数あるブランドがありますが、ココ・シャネルは特異な存在だったともいえるでしょう。
最後に
みなさんにも好きなブランドがあると思いますがなかなか経営者や創始者の思いというのは見えづらいものですよね。
しかし、創始者の「なぜ開業しようと思ったのか?」という想いを知ることで、普段見慣れたブランドでも見え方が少し変わって見えてくるものがあるかもしれません。
みんなが持っているから、ブランドだからという理由で持つのも悪くはないですが、ココ・シャネルさんが作り出したかった世界観に共感して一人でも多くの女性が彼女の商品を着用している姿を見たときに、ココ・シャネルさんの夢が叶うことを意味しているのかもしれません。
ぜひ、みなさんもこだわりを持った多くのファッションブランドの歴史にちょっと足を踏み入れてみて、新しい視点でブランドのファンになってみてはいかがでしょうか。