石川啄木の歌集「一握の砂」の魅力!12首選

石川啄木って誰?

石川啄木(1886-1912)

簡単に言ってしまうと、短歌を詠んでいた人です。歌人ですね。

短歌とは57577のリズムで作られた短い詩のことを指します。

啄木は明治時代に活躍したものの、26歳という若さで亡くなりました。岩手県生まれで、中学校(今は高校)の10年後輩には宮沢賢治がいます。

ふるさとを出たあとは北海道や東京で暮らしていました。

啄木のウラ話

19歳で節子という女性と結婚しました。ですが、なんと自身の結婚式をドタキャンしたのです。結局、啄木抜きで式は執り行われました。

啄木のウラ話2

生活にはいつも困っていたようで、友人たちから日々お金を借りていました。しかし、返すあてもなく……。ですが、女遊びは頻繁に繰り返していました。

「一握の砂」とは?

「一握の砂」とは啄木の第一歌集で、551首収録されています。24歳のときに出版されました。啄木の死後に出版された「悲しき玩具」と並んで、啄木の代表作とされています。

普通は短歌は1行で書きますが、啄木の短歌は3行にわけて書かれているのが特徴です。

実際に短歌を読んでみよう

明治時代に詠まれた歌ですが、現代の私たちにも共感できる歌、私たちに寄り添ってくれる歌がたくさんあります。その中でよりすぐりの12首をご紹介します。

啄木といえばコレ!その①

はたらけど

はたらけど猶わが生活楽にならざり

ぢっと手を見る

(猶…なほ/生活…くらし)

どこかで聞いたことがありませんか? 国語の教科書に載っていたのを思い出された方もいるかもしれません。働いても働いても生活が行き詰まってしまう自分の無力さをおのれの手に見出している、そんな歌です。

啄木といえばコレ!その②

ふるさとの訛なつかし
停車場の人ごみの中に
そを聴きにゆく

これもよく国語の教科書に載っている短歌です。ふるさとを離れて暮らしていると、寂しい気持ちになったりするものです。そんなとき、聞き馴染みのある訛りや方言が聞こえてくるとどこか安心感が得られる、その喜びが詠まれた歌です。

「一握の砂」といえばコレ!

いのちなき砂のかなしさよ

さらさらと

握れば指のあひだより落つ

砂に命がないのはわかりきったことなのに、「命がない」というだけでもう悲しくなってしまう啄木。もっとあたたかい生き物と、いや、人と触れ合えたら、わかり合えたら……。そんな風に思ってしまうのは私たちも同じかもしれません。

指のあいだから何のためらいもなく落ちていってしまう砂に命のなさを見出しています。

電車に乗っているときにはコレ!

こみ合へる電車の隅に
ちぢこまる
ゆふべゆふべの我のいとしさ

昔も夕方の電車はとても混んでいたのでしょう。今でもラッシュアワー時に乗ると押し潰されてしまいますよね。なるべく他の乗客に触れないようにすることはあると思います。人にはパーソナルスペースというものがあるそうで、これは自分の周囲に入り込まれると不快に思う一定の空間のことです。これを侵されないように、自分を守るように縮こまるわけですね。それは自分が愛しいからです。

何も考えたくないときにはコレ!

それもよしこれもよしとてある人の
その気がるさを
欲しくなりたり

「それもいい!」「これもいい!」と何でも受け入れることのできる人っていますよね。その人はもちろん、別に何でもいいというわけではなく、その人なりの判断基準がありますが、そのハードルが低いのでしょう。何でも受け入れられるという点で、心に余裕がある人と言い換えてもいいかもしれません。余裕があれば気軽に何でもやっていけるような気がします。この歌は、その気軽さに憧れる歌です。

寒い日の夜にはコレ!

かなしきは
喉のかわきをこらへつつ
夜寒の夜具にちぢこまる時

(夜寒…よざむ/夜具…やぐ)

寒い夜、もう布団に入って寝ようとしていたときの歌です。布団に入った瞬間は布団が冷たくて身体を縮めてしまいますよね。でも布団から出るともっと寒いのはわかっているので、出たくはない。喉も乾いているけれど、やはり出たくはない。こんなに堪えている自分がどうしようもなく悲しい……。そんな気持ちが詠まれています。

頭痛のときにはコレ!

たんたらたらたんたらたらと
雨滴が
いたむ頭にひびくかなしさ

(雨滴…あまだれ)

「たんたらたら」と音をさせながら、雨粒が屋根に落ちてきているのですが、その音が刺激となって余計に頭痛がひどくなってしまうという歌です。あるあるですね。この歌のポイントは「たんたらたら」という音が楽しげであるのに対して、その音さえも楽しめず、むしろつらく悲しくなってしまうところです。楽しげな雨音とは対照的である啄木の性格を存分に引き出した歌だと言えます。

自分の進む道に迷ったときはコレ!

わがこころ
けふもひそかに泣かむとす
友みな己が道をあゆめり

(己…おの)

友人みんなが自分自身の道を歩んでいるのをみて、私の心は今日もひそかに泣こうとしている、といった歌です。生きる道に迷える啄木。毎日のように心が泣いてしまっているのです。

それも、生きる道に迷う気持ちを誰にも言えずに、ひそかに。友人や、あるいは職場ならば同僚たち、同世代の人々に置いていかれているような気持ちというのをヒシヒシと感じたことがある方は多いのではないでしょうか。迷っても大丈夫なんだということを伝えてくれる歌です。

喧嘩したときにはコレ!その①

殴らむといふに
殴れとつめよせし
昔の我のいとほしきかな

「殴るぞ」と言った相手に自分も応戦して「殴れよ」と詰め寄った昔の自分が、なんだかんだで可愛いな、といった歌です。

若い頃は挑発にすぐに乗ってしまったりすることがありますね。そんな若い頃の自分を思い返してみると意外な発見があるような気がします。この歌では挑発されて心を動かされたという昔の稀有な経験が今の自分に繋がっていることを暗に表しています。

喧嘩したときにはコレ!その②

あらそひて
いたく憎みて別れたる
友をなつかしく思ふ日も来ぬ

(来ぬ…きぬ)

争ってとても憎んで別れてしまった友人をなつかしいなと思う日も来る、という意味の歌です。この歌は実は先ほどの「殴らむといふに〜」の歌のあとに詠まれた歌なのです。短歌にもドラマが垣間見られますね。こちらの歌は友人に焦点を当ててあります。よほどなつかしいと思ったのでしょう。憎しみが薄れてゆくこともあるということが伝わってきます。

美しい風景を感じたいときにはコレ!

しらしらと氷かがやき
千鳥なく
釧路の海の冬の月かな

啄木は釧路に住んでいたことがあります。そのときに見た光景でしょう。氷が白く輝く中、普段飛んでいる千鳥はいない、そんな冬の夜の釧路の海から見える月が美しい。啄木はそう詠みました。

千鳥は俳句では冬の季語ですね。短歌には季語は入れなくてよいのですが、入れると風景が一気に広がることがあります。

恋愛に想いを馳せたいときにはコレ!

君来るといふに夙く起き
白シャツの
袖のよごれを気にする日かな

(夙く…とく)

君が来るというから早く起きて袖のよごれを気にしてしまう、という歌です。普段は悲しさばかりを詠んでいる啄木もこんな可愛らしい歌を詠むのですね。恋をすれば身だしなみにも気を遣いたくなるものです。

生活が困窮の状態にあった啄木は白シャツを買い替える余裕はなく、シミのあるシャツしか手元になかったのでしょう。それでも自分が持っている中で一番いいものを着て待っているという健気さが感じられます。

最後に

石川啄木の短歌12首はいかがでしたか。悲しさを詠んだ歌がやはり多いのですが、悲しさにもいろいろな種類がありましたね。

そして悲しさに溢れた生活の中にも少しは心なごむ出来事がありました。今回ご紹介した歌はすべて歌集「一握の砂」に収録されたものです。気に入った歌があったらぜひ歌集も読んでみてください。