納豆とは自由です

納豆、それは素敵な響き。高たんぱく低カロリーな上、植物性の発酵食品、経済的、美味しい、健康に良い。冷蔵庫に白いパックを見つけると安心する、またはないと少し慌ててしまい、近所のコンビニに買いに行こうか考えてしまう。また眠れない夜に何故か納豆が食べたくなってしまう事がある。そんな親密な関係を続けてきました。

他の食品は切らしてしまう事があっても納豆は常に用意しておき、幼少時から順調に良好関係を保っています。そんな納豆との生活においてふと気づいた事は、後で食べよう、と何の気なしにラップもかけずに冷蔵庫にしまい込み、2~3日後にそれを発見しそのまま食べてしまう、というかなり王道から外れた状況の納豆が実は一番好きな事です。人様に知られると、高確率で嫌がられますが、私としてはこの干からびた納豆の美味しさが一番だと思うのです。しかも、小粒が望ましい。大粒のものだと、干からびるのに時間がかかるからです。また、あえてラップをかけないという点も重要です。

納豆の語源

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納豆納豆、と普段から言っていますが、よく知らない語源や納豆の歴史。これではいけないと調べたところによると、僧侶が寺院で行う出納事務(納豆の納が付いておりますね)を行う納所(なっしょ)で、豆を桶などに納めて作られていたのが語源だそうです。納所で作られた豆だから「納豆」、とてもシンプルでわかりやすいお生まれでした。ちなみに元禄時代の「本朝食鑑」に記載があるそうです。

また、「納豆」という言葉を辞書で繙くと「大豆を発酵させた食品。ねばって糸を引く。(狭義では浜納豆もしくは甘納豆を指す)と記載がありました。「浜納豆」は知りませんでしたので、またも繙くと「浜名納豆の変化、浜名湖付近で作る乾燥した塩気の強い納豆」で「はまなっと」とも呼ばれるという事が分かりました。乾燥している、という事は個人的に愛好している乾燥した納豆に近いのではないか、と勝手に親近感を覚えましたが、残念ながらまだはまなっとを見た事はありません。

塩気が強い、というところも気になる点です。これはぜひ浜名湖に赴き、実食する必要がありそうです。人生における目標がまた一つ増えました。

納豆の栄養価は混ぜると増えるのか

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さて、自分が好きな冷蔵庫に数日入れておいた納豆ですが、勿論普通の状態の納豆を食卓で頂く事もあります。パックから取り出し、器に盛りつけて辛子を乗せる、ご飯に乗せることもありますが、ここでも実を言うと納豆をそれだけでそのまま頂くのが一番美味しいと思います。近年は、「納豆は424回混ぜるべし」など、食べ方に諸説あります。やはり皆様日本人、DNAに刻み込まれた納豆愛が炸裂して、各々いかに美味しく納豆を食べるか、という事に夢中になりがちのようですね。

私も好奇心から、納豆をクリーミーになるまでかき混ぜて頂いたことはあります。しかし、美味ではないわけではありませんが、そんなに多くかき混ぜる必要性をそこまで切実には感じませんでした。回数がそこまで多くなりますと、正確に数えるのに困難が伴います。ほぼ大体の場合、数回は間違えるのではないでしょうか。何となくそのくらいかき混ぜ終わった、かな?というくらいだと思いますし、正確性が気になってしまうという几帳面な方もいるかも知れません。また、意外に手首も疲れます。そのままで十分に美味しい納豆を食するにあたり、余計なストレスをかけたくない、というのが私の持論であります。

しかも栄養価が特に変わるわけではないらしく、これはまさに食べ方の好み、クリーミーな納豆が好きか、納豆本体(と糸)が好きか、という単純な問題でありましょう。ちなみに変化球として、トーストに納豆を乗せる、という朝食を作ることもあります。この場合も、あらかじめ食パンに辛子を塗っておき、トーストした後に納豆を混ぜずにのせ、好みでチーズやマヨネーズを乗せます。

この場合も、出来れば乾燥気味の納豆の方が、美味しいと思います。納豆の糸は高分子のポリグルタミン酸とフラクタンという多糖類だそうです。どちらにもアミノ酸が含まれており、そこが納豆の旨味成分であるようです。納豆を長く放っておくと、糸を引きにくくなるそうです。買ってきた納豆は、すぐに食べる分は冷蔵庫、後は冷凍庫に保存します。冷凍したものは自然解凍する場合もあれば、冷凍されたままおやつとして食べてしまう事もあります。こちらもなかなかいけると思うのですが、人様にはそう思われません。

納豆のトッピング

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上記の通り、王道ではない納豆の食べ方を愛好しがちではありますが、おかずとして食卓に並ぶ場合、納豆に何をトッピングするか、という事も問題であります。個人的には年に数回、納豆に生卵とお醤油、多めの辛子をいった組み合わせで一度に2パック食べてしまう、という時もあります。この時ばかりは、冷蔵庫で乾燥しきった納豆ではなく、パックから取り出した納豆をそのまま頂きます。

また、ふりかけを少量かける、辛子ではなく山葵がよい、という話も耳にします。栄養価の観点から考えれば、納豆はたんぱく質、ビタミンB群、カリウム、マグネシウム、鉄分、食物繊維、カルシウムなど実に多様で豊富な栄養を含むため、わざわざ何かをトッピングする必要性はないように思います。野菜を補うのであれば、を入れるとバランスは良さそうです。何かをトッピングした場合でもあまり回数は混ぜない事が多く、やたら混ぜる人と食卓を共にする場合、そこはかとなく気まずい雰囲気が漂いますが、そこは納豆のある食卓が醸し出す平和な感じがうまく作用するのか、諍いになった事はございません。

しかし、納豆を混ぜるといいのだ、と言われても頑として混ぜない自分に対して、何かしらの違和感を感じているかも知れないという漠然とした不安は拭い去れません。そういう事が気になる時は、ちょっと多めに混ぜてみるのですが、やはり私はあまり混ぜずに、やや硬めになった(乾燥した)納豆が好みです。人様に迷惑をかけない限り、食は自由です。

納豆とは何か

記載した通り、納豆とは自由であると思います。どう食べようが、食べた人が美味しいな、と思いながら食べる事で脳や胃腸の血流も促進され、栄養素も吸収されるのではないか、そんな気がします。冷蔵庫にラップをかけないで入れたままにしておき乾燥した納豆を、おもむろに取り出して食する、それも自由だと思います。また回数を混ぜ込んでクリーミーにした納豆を愛するあまりに、納豆をかき混ぜる為に専用のかき混ぜ棒を用意してしまう、という事も全く持って自由であります。混ぜる事に熱中し、回数を忘れてしまっても、美味しければそれで良い、心からそう思います。納豆とは、人々の生活をまるく包み込んでくれるような、そんな存在なのではないでしょうか。

最後に

なぜ、カピカピになるまで乾燥させた納豆を好むのか。やや硬めになった納豆が好き、という事もありますが、葱や辛子をあえて混ぜなくても、一番美味しいと思うからです。また、翌日まで余ったカレーの鍋にこびり付いた乾燥気味になったカレーが好き、という感覚と多少通じるところがあるかも知れません。翌日も必ず台所のコンロの上にあるカレー鍋に、安心感を感じる場合もあるように思います。乾燥した納豆が思い起こさせるのものは、ちょっとした安心感なのかも知れません。今日が終わってもまた次の日がある、という贅沢な事実、それが私をほっとさせるのかも知れません。